母ぎみに勝る ともや世にある
生命の春にも 老の秋にも
優しく労り いとしみたもう
母ぎみに勝る ともや世にある
(賛美歌 四三七番)
『私、女学校の時は寄宿舎だったんですけど、母の日にお部屋で、みんなでこの歌を歌ったんですよ。そしたら本当に悲しくなって声をあげて泣きましたわ。それは私だけではないんですよ、みんなで泣いてしまったんです。でも、そんなふうに、寄宿舎なんかで家をはなれて暮らしていれば、お母様のいないのがものたりなくて悲しいんですけど、小さい少女の頃は本当の母の有難さって、まだまだ分からないものですわね。私なんかやっと母親ってものが分かってきて、これから本当に母につくしたいと思ったら、まもなく母は死にましたわ』
と、とりかえしのつかないといったような、ちょっと悲しそうな歪んだ表情で、Kさんは静かに笑いました。
母の日は、毎年五月の第二日曜日です。毎日同じ家の中で暮らしていると、それはちょうど空気のように『有る』ということの有難さを忘れてしまって、自分に都合の悪いことがあると、つい不平が出てしまうばかりか、お母様のいろいろの心遣いが、足手まといのようなうるさいことのように思えることだってあるのです。
『お母様をお喜ばせすること』
『お母様に心配をおかけしないこと』
『お母様を悲しませないこと』
そんなことは、もう小学校の一年生の時に先生から教えられたような、もう分かりきった、あなた方には何の新鮮さもない言葉でしょう。しかし私達が毎日どれだけそれを実行出来ているでしょうか。心の中では分かっていても、自分勝手なことがしたい時には、都合よく忘れてしまうことはよくあることです。
あなたが一番人に嫌われるようなことをした時に、一番心配して手をさしのべて下さるのはお母様。そしてあなたが一番悲しい気持ちになった時に、一番最初に思い出す人もお母様でしょう。
『母の日』には、お母様のある人は、胸に赤いカーネーションをつけ、お母様にとって一番いい子であるように心をつかいましょう。お母様のない人は白いカーネーションを胸につけて、亡きお母様を偲び、お母様がなくても本当にいい少女になりますようにと、心にちかいましょう。
お母様は、天地にただ一人の方です。
生命の春にも 老の秋にも
優しく労り いとしみたもう
母ぎみに勝る ともや世にある
(賛美歌 四三七番)
『私、女学校の時は寄宿舎だったんですけど、母の日にお部屋で、みんなでこの歌を歌ったんですよ。そしたら本当に悲しくなって声をあげて泣きましたわ。それは私だけではないんですよ、みんなで泣いてしまったんです。でも、そんなふうに、寄宿舎なんかで家をはなれて暮らしていれば、お母様のいないのがものたりなくて悲しいんですけど、小さい少女の頃は本当の母の有難さって、まだまだ分からないものですわね。私なんかやっと母親ってものが分かってきて、これから本当に母につくしたいと思ったら、まもなく母は死にましたわ』
と、とりかえしのつかないといったような、ちょっと悲しそうな歪んだ表情で、Kさんは静かに笑いました。
母の日は、毎年五月の第二日曜日です。毎日同じ家の中で暮らしていると、それはちょうど空気のように『有る』ということの有難さを忘れてしまって、自分に都合の悪いことがあると、つい不平が出てしまうばかりか、お母様のいろいろの心遣いが、足手まといのようなうるさいことのように思えることだってあるのです。
『お母様をお喜ばせすること』
『お母様に心配をおかけしないこと』
『お母様を悲しませないこと』
そんなことは、もう小学校の一年生の時に先生から教えられたような、もう分かりきった、あなた方には何の新鮮さもない言葉でしょう。しかし私達が毎日どれだけそれを実行出来ているでしょうか。心の中では分かっていても、自分勝手なことがしたい時には、都合よく忘れてしまうことはよくあることです。
あなたが一番人に嫌われるようなことをした時に、一番心配して手をさしのべて下さるのはお母様。そしてあなたが一番悲しい気持ちになった時に、一番最初に思い出す人もお母様でしょう。
『母の日』には、お母様のある人は、胸に赤いカーネーションをつけ、お母様にとって一番いい子であるように心をつかいましょう。お母様のない人は白いカーネーションを胸につけて、亡きお母様を偲び、お母様がなくても本当にいい少女になりますようにと、心にちかいましょう。
お母様は、天地にただ一人の方です。







